お知らせ

溝切り

2025.07.01

5月中旬田植えをして1ヶ月半、溝切りの時期に来ました。毎日猛暑続きで昼間の農作業は危険です。比較的涼しい早朝での作業をしています。田んぼを完全に乾かすと、溝が切れずに車輪に泥がまとわりつき、振り回しに重たいので、水を張った状態で溝切りしています。

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出没

2025.06.24

鹿(オス)が昼間でも出没するようになりました。地区の周りに獣害フェンスが設置してますが、国道178号線があるため、すべてを覆っているわけではありません。その隙間をぬって出てきているようです。フェンス内には雑草地、耕作放棄地があるのでそこに紛れ込んでいるのでどうしようもない。

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筏釣り

2025.06.20

久美浜湾内に「筏」があり始めて筏釣りに行きました。「カキ棚」があり「チヌ」釣りがメインですが、「サヨリ」が釣れそうなのでそれ一本に絞りました。8時に乗船、筏まで5分、仕掛けを用意し、釣り始めましたが、いっこうに当たり、魚の魚影がみえません。でも、11時頃、牧餌の結果、「サヨリ」が回遊してきて32㎝から25㎝と爆釣です。総数32匹。全部食できないのでお隣におすそ分けです。

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米は「工業製品」か

2025.06.16

今日の農業新聞に論点「宇根豊氏」から出てましたのを記載します。

「めぐみ返し」への支援を

米の価格が1年で倍になったのが異常なのではなく、需給バランスで価格が決まることが異常なのだ。コスト計算で決めるのもおかしい。しかも「高い」「安い」という議論ばかりで、工業製品並みになったものだと、あきれる。コメの価格に赤とんぼやカエルの価値は含まれていない。なぜなら赤とんぼやカエルの姿は自然現象だから、タダだと日本人はおもっているからだ。

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したがって「農」が生み出す多くの「めぐみ」(環境)の価値は、市場から見放され、危機に直面している。そこでコメの価格に上乗せできないのなら「環境支払い」で払うようにすればいい。もともと食べ物の価値を自給バランスやコスト計算で決めるのは、方便だった。これは「生産」という工業の考え方を「農」に当てはめた結果だ。

「直接払い」の根拠

そもそも食べ物は、生き物だから、人間が「製造(生産)」しているのではない。天地自然から授かっている、いただいている、という受け身の感覚が強かった。私は若い頃、たべものは「つくりのではなく、とれる、できるものだ」と教え込まれたものだ。つまり「農」とは天地自然の「めぐみ」を百姓が手に入れの限りを尽くして受け取るものだ。欧州では百姓の所得の70~80%は、国民の税金から「直接払い」で得られている。「農」は市場では評価できない価値がいっぱい供給しているからだ。それを国民が評価しているからだ。「農」が「産業」になってはいけない理由がここにある。「所得補償」や「環境支払い」を要求する根拠がここにある。だだし、「所得補償」は生産性が上がらない弱小産業の救済策だと誤解されるだろう。あるいは、「安い米」を正当化する手段になり下がるだろう。

国民が支える「価値」

一方の「環境支払い」は天地自然の「めぐみ」の価値を、天地自然の名大として百姓が受け取る。受け取る以上、百姓には天地自然の「めぐみ」が変わらずに繰り返すようにする責任が生じる。これこそ百姓が「天命」だと感じてきたものだ。農水省が、環境への配慮を「農家に新たに負担が生じる」というのは浅薄な理解だ。この「天命」を百姓だけではなく、多くの国民すべてが感じてほしい。日本人が「自然」と呼んでいる多くの「めぐみ」は、「農」があってこそ繰り返す。この「めぐみ」が繰り返すようにすることを「めぐみ返し」と呼びたい。「環境支払い」はこの「めぐみ返し」のための国民からの支援なのだ。新しい時代の扉を開けよう。

 

2025.06.10

田植えが終わり、早々梅雨に入りました。5月上旬には青々していた麦が、6月10日にはもう刈り取り時期となりました。梅雨の間の少ない晴れをぬっての麦刈りが始まります。

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